※「マイレージ、マイライフ」の一部ネタバレ。「バタフライ・エフェクト」も?
「マイレージ、マイライフ」をDVDで鑑賞。実に面白かった。
ところでこの映画、ラストの見解は解釈が分かれるように作られている。
空港の掲示板の前で足を止め、見上げるライアン。
やがてキャリーバッグから手を離して…
大きくは、「ライアンは仕事を続けたのか、辞めたのか」に分かれる。
少し前に、それについての議論がTwitterでなされた。
(私家版)『マイレージ、マイライフ』の一解釈をめぐる映画評論家町山智浩(@TomoMachi)と@my_yoursの議論
議論されている両者の見識はとても奥深く、自分がそんな風に評価するのさえおこがましいほどだ。
「この議論がどれだけ凄いかわかってるのか?」と聞かれたら、あわてて「わ、わかりません」などと答えかねない。
ともかく、ラストの見解は大きく分かれており、監督自身も、そうなることを意図して作ったと語っているのだから、「どちらも正解」が「正解」と言えばその通りだ。
けれど、それを踏まえた上で、やはり、自分はどちらの解釈を支持するかを考えたい。
正解がないから、自分の正解を持つ事も、心置きなくできる、そういう有難い映画だ。
自分は「ライアンは仕事を続けるために飛行機に乗った」という側の意見を支持する。
理由はこうだ。
たしかに、最後、今までのライアンの生き方のシンボルとも言えるキャリーバッグのハンドルから手を離した所でシーンは終わる。
けれど、仕事の他にあるものの大切さを学んだからと言って、仕事から離れる方を選ぶとは、どうしても考えにくい。
キャリーバッグ=「自分自身」から一旦手を離し、見つめ直す。そしてもう一度、そのハンドルを持ち直し、新たな気持ちで「自分自身」に取りかかったのではないだろうか。
その時の姿勢を新たな気持ちと表すか、諦念と表すか、天命とするか、そこでも見解は分かれるのだろうけど、ともかく、今まで見えなかった自分の気持ちを認識して、なおその認識に反する選択をする、それ自体は、合理的ではなくても、不自然な選択とは思わない。
ライアンは自分の仕事に対してこんな感じの事を言っている。自分は相手を奈落の底に落とす仕事をしているが、相手の気持ちを最大限に理解し、尊重した上で、しかし逃げる事なく、職務を全うしている。
ラストにて、それと同じ姿勢を、今度は自分に向けたと思うのだ。
仕事が全てである事は、つまり自分の家庭的部分を切り捨てているという事。
今までは、それを全く気にせずにやってきた。
けれど、もう違う。家庭に憧れる自分が、確かにいた。
今度はちゃんと、そんな自分を調査し、気持ちを理解した上で、選択外を通告する。
そうして、キャリーバッグを持ち直したと思うのだ。
2011/05/31
2011/05/07
子供
二人目が生まれた。
男の子だ。
どう育つか…というより、自分はこの子をどう育てようとするのか…と考える。
思えば小さい頃、父親は得体の知れない怖い存在だった。
寝転んでいる父の上に乗っかってたくらいの記憶は在るが、それもある程度
大きくなってからだったと思う。
今でこそ会話も在るが、幼い頃は話をした記憶があんまりない。
どう接していいのか分からなかった気がする。
だから母親とばかり一緒にいたがった気がする。
理由は理解できる気もする。
自分は3人目だったし、仕事は忙しかっただろうし、おかげで経済的には
不自由なく、むしろ贅沢なくらいに育ててもらえた。
そのために、接する機会が犠牲になった、などと考えるのは簡単だ。
けれど今そうやって否定的に見る余裕が在ること自体、経済的な
不自由がなく育ててもらえたからに過ぎない。
逆に、たくさん遊んでくれたけど、なんでもっと仕事してくれなかったのか、
なんていう不満を抱くのだって、実に簡単な事だし。
とりあえず、今の自分は、自分の父親ほどの地位や経済性を備えてはいないし、
それと比べたら、接する機会を増やす方で育てることしかできない。
お金の事に関しては不満を抱いて、「たくさん遊んでくれたけど〜」と文句を
言われながら育っていくのかも知れない。
男の子だ。
どう育つか…というより、自分はこの子をどう育てようとするのか…と考える。
思えば小さい頃、父親は得体の知れない怖い存在だった。
寝転んでいる父の上に乗っかってたくらいの記憶は在るが、それもある程度
大きくなってからだったと思う。
今でこそ会話も在るが、幼い頃は話をした記憶があんまりない。
どう接していいのか分からなかった気がする。
だから母親とばかり一緒にいたがった気がする。
理由は理解できる気もする。
自分は3人目だったし、仕事は忙しかっただろうし、おかげで経済的には
不自由なく、むしろ贅沢なくらいに育ててもらえた。
そのために、接する機会が犠牲になった、などと考えるのは簡単だ。
けれど今そうやって否定的に見る余裕が在ること自体、経済的な
不自由がなく育ててもらえたからに過ぎない。
逆に、たくさん遊んでくれたけど、なんでもっと仕事してくれなかったのか、
なんていう不満を抱くのだって、実に簡単な事だし。
とりあえず、今の自分は、自分の父親ほどの地位や経済性を備えてはいないし、
それと比べたら、接する機会を増やす方で育てることしかできない。
お金の事に関しては不満を抱いて、「たくさん遊んでくれたけど〜」と文句を
言われながら育っていくのかも知れない。
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