2010/08/27

少し立ち直った

自分の努力を振り返る。
それは本当に、客観的に見ても努力と呼べるものだったか。
最後の追い込みだけを記憶で誇張して「あんなにがんばったのに」と錯覚していないか。

ラストスパート「だけ」を頑張ると、リスクが大きい。
結果が出たなら、確かに儲け物ではあるだろう。
だが長く努力した分よりも多くが得られるという事はない。
そして当然ながら、ラストスパートのみの努力は、長い期間の努力よりも結果が出にくい。
それでいて、失敗したときのダメージは、まるで長く努力していたかのようにこうむる。
つまりはハイリスク・スタンダードリターンだ。
自分はそれを、心のどこかで狙ってなかったか。
断固としては、否定できない自分がいる。

2010/08/22

うちひしがれそうです

3度目の試験が終わった。
学校から出ていた解答速報によるところ、不合格確定。

ここで告白しておかないと、どんどんどこかに落ちていきそうな気がした。
自分は普段は口数が少ない。
それは馬鹿なのがばれたら恥ずかしいからだ。
だからこそ、知ってる事とか、バカと思われてもいいような時とかは
やたらとはしゃぐし、口数も多い。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というが、
聞いたり話した事で恥をかいた記憶がずっと頭から離れない。
だから、バカと思われたらやだなと思うときは極端に喋らない。
でも、馬鹿である事は変わらない。
隠して賢そうに見せる事はできても、賢くはなれない。
馬鹿で、馬鹿である事を黙って隠す事に必死で、
賢くなる努力を怠っている自分がいる。
それだけは変わらない。
いくら賢そうに見える言葉や格言を身にまとっても、
身に染みてはいない。
そんな振る舞いをずっと続けていたものだから、
何を喋っていいのかもわからなくなってしまったんだ。

2010/08/17

気がつくと胸に注目

あの水着の胸パッドはどれくらいの厚さなんだろうと考えて、
ついきょろきょろしていた自分がいやだ。
ようするに、見るからにカツラの人の頭に注目するのと同じ感覚。
だからってスケベ心に対するなんの弁護にもならないが。

2010/08/11

今思い出しても恥ずかしいこと

白浜へ家族3人で旅行へ行ったときのことだった
ホテルのレストランで夕食
予約制で客はカウンターに並び、コックさんがその場で調理する形式だった
調理が始まるかというタイミングでコックさんがおもむろに挨拶
確か「おはよう!」だったか なんて言ったか良く覚えてない
(仮におはようだったらこの時点で気づくべき)
「おはようございます!」と返す自分
他の客は黙っていた

後で嫁に言われてはじめて知った
あれはそのとき入ってきた従業員に向けてのあいさつだったと
どうりで皆黙ってたわけだ 嫁も含めてな
だいたいあんなタイミングで客に挨拶とかしないよな

これを思い出すとき
不謹慎を承知の上で言いたくなる

氏ね自分

2010/08/09

パソコンないとすることがないようで

でも思ったほどには、仕方ないから代わりのことをやろうという気は起こらないもんだ。

2010/08/03

お手紙

めい4歳は、よくお手紙を書く。
おそらくは、以前観た「アルプスの少女ハイジ」の影響と思われる。
「いつもあそんでくれてありがとう これからもよろしくね」
大体こんな感じ、「〇〇してくれて」の部分以外は基本的に変わらない。
家族や親類はほとんどの人がもらっている。
友達や知り合いにも渡している。
体操クラブの先生にも渡した。
他愛のないものながら、やっぱり一応は喜ばれるようだ。

どうやら、先日死んだメスカブトムシの「ちびちゃん」をお墓に埋めるときにも、
手紙を書いて、一緒に入れてあげたらしい。
正確な内容は知らないが
「おうちにきてくれてありがとう げんきでね」
こんな感じだったらしい。

短い間だったが、ちびちゃんは幸せだったと思いたい。