2012/08/16

子育てポリシー

自分の子育てポリシーをなんとなく。

遊びにおける親の立場には「審判」と「相手」がある。
別の言い方をすると「遊ばせる」と「(一緒に)遊ぶ」があるということ。
例えば公園の遊具なんかで子供に危険がないように見守ることは
「遊ばせる」だけどキャッチボールやバドミントンの
相手をするのは「遊ぶ」になる。

イベントやショー等に連れて行くこと、おもちゃを買い与えること、
親らしい育て方の多くは、審判だ。
けれど子供の立場、遊ぶという行為を主体に物事を見てみたらどうだろう。
審判さえいれば成り立つ遊びとは、つまりは一人遊びだ。
一人遊びが遊びの全てであるはずはない。
その外側には、相手を必要とする遊びの世界が広がる。

どこかで楽をしたいと思う親は、知らず知らず審判に回る。
そのほうが、自分は動かなくていいから。
しかも、親らしい育て方をしているように見えるから。
逆に、子供の相手になるということは、自分も子供になるということ。
そして、それでも審判は必要だから、審判と相手を同時にすることになり、
けっこう労力がいる。
審判でもあるという立場を忘れてしまうと、ただのでっかい子供であり、
ものによっては、事故が起こった時のショックも大きい。
そういう難しさがある。

父母の役割分担がどうあるべきかはわからない。
ただ確かなのは、子育てとは、食事を与え、服を着せ、掃除洗濯をしてやり、
遊び遊ばせることだ。その中で子ども自身が学んでいく。
その環境を豊かにしておくことだ。
そして自分は食事や衣服や掃除洗濯は不得意で、嫁のほうが要領よくやる。
だからせめて遊びに関しては、その専門、担当でありたいと思う。
そのために、時にはお兄さん、時には弟、時には友達であるかのように、
できるだけいろんな視点=相手で子供に接し、その上で審判である父親の
立場を忘れないようにしようと思っている。

だから、娘に対し、教えたり、注意することも多いけど、
あえてわからなくて困ったり、間違えたり、知らなくて聞いたりすることもよくする。
そしてそういう時ほど、娘は一生懸命頭を働かせ、自分自身をより豊かに
しているように見えるのだ。

2012/04/20

パズルのピース

集団のあり方には、たぶん、パズルのように、複雑でいろんな
形が組み合わさって集まるのと、四角いタイルのように、シンプルな
形が規則正しく並んでいくという、2通りの方向性がある。

パズルタイプの集団は、みな凹凸があるから、うまく合わさらない
ことも多いだろうが、一度噛みあうと、強力な結束が生まれる。

一方、四角タイルタイプの集団は、パズルのような結束は生まれなから、
個々の位置は容易に入れ替わるが、致命的な隙間が生まれることもなく、
柔軟性を保ちながら全体としてのまとまりを維持できる。

いわゆる「ばらばらでいっしょ」は、前者を目指しての
ことなんだろうけど、しかし日本はもともと、後者のタイプだった。

それが急に前者を目指すと、悪い場合には何が起こるか。
「全部が同じ形のピースでできたパズル」ができあがる。
不定形なのに同じ形どうしだから、組み合わさることもできない。
規則正しく並んでも、隙間が埋まらない。
かくして、繋がりの希薄な集団が生まれる。

結束も強く、入れ替わりにも対応できる
「ギザギザのタイル」の集団になれればいいんだけど。

2012/02/06

くやしさ

前のエントリーが調査士試験前夜で止まってるけど、試験は無事に合格。
次は行政書士。意欲とかそういうのではなく、取れないと家業が継げないのです。
取れてもどこまで継げるかどうかわからんが。

くやしさ。
1月末、五色百人一首大会に娘5歳は出場した。
幼稚園年中組は一人だけでの最年少。昨年も出たけど、今から思えば無茶したもんだ。

しかし、結果だけ見ると、昨年より良くなかった。
昨年は3戦2勝1敗で予選落ちだったが、今年は2戦全敗。
ただし、今年の相手は3年生と2年生の男の子で、かなり強かったと思う。
そしてその二人相手に、手も足もでなかったわけではなく、
2年生相手に17枚中7枚、3年生相手に同5枚という成績。
3年生なんて、言ってみれば5歳から見てほぼ倍の年齢だ。
体格も雰囲気も、大人相手ほどではないにしても、まるで違う。

予選が終わって、娘は自分のところに、無表情で戻ってきた。
そして、肩に顔をうずめて、しばらく泣いた。
悔しかった。
普通に考えたら笑うしかないような年齢差相手に、それでも悔しかった。
なぜなら、1年間練習してきたから。
春から夏にかけては、幼稚園への登園時間中、歩きながら札を覚えた。
家では札を全部裏返しにして記憶力を試したり、やり方を色々工夫して、練習を続けた。
風呂場には試合で使う20枚の札での決まり字を壁に貼って覚えた。
年明け頃だったか、私宛に「かるたたいかいで かつね」と手紙で約束までしてくれた。
積み重ねたものが、それだけあった。
だからこそ、年齢差とか条件にかかわらず、負けた悔しさは相当なものだっただろう。

自分がそういう悔しさを知ったのは、いつ頃だっただろう。
中学の頃を思い出してみる。
陸上部で、短距離走で、決して勝てない友達がいた。
最後の運動会で競争相手になり、やっぱり負けた。
でもあの時の気持ちは、悔しさとは少し違った。どこか清々しかった。
もうこれで終わりだという、諦念めいたものが混じっていたからだろうか。

結局、自分の記憶に一番残っている悔しさは、昨年の調査士試験に落ちた時のことだ。
よく思い出したらまだ有るのかもしれないが、でも思い出せないということは、
あってもそれほど大した気持ちではなかったのだろう。

悔しさをバネに、とよく言われる。
娘はそのバネをたった5歳で手に入れた。
これはどこまで弾むのだろう。
それを見届けさせてもらいたい。