2013/11/18

帰ってきた罰

ツイッターに書いてたけどこっちにも残しておきたいので。
考えさせられた事のメモ。


娘と一緒に百人一首に触れ始めた頃から、ずっと心に引っかかってた思い出がある。
中学の頃にあった百人一首の大会。
チーム対抗戦だった。
自分はひと通り暗記してたので、そこそこ強く、正直思いあがりがあった。

でもまあ敗ける時は敗ける訳で、全然取れない試合があった。
その時のチームの、誰か女の子に向けた一言。
『取れよ…』

自分で言ったこれが、ずっと頭から離れない。

ところが昨日、部屋を整理してたら、中1の時の学級通信が出てきた。
担任の先生が毎週生徒に配ってた、色んな出来事の記事1年分をまとめたやつ。

そこに「新春かるた大会 1組5班が学年優勝!」とある。


その班のメンバーに自分が入っていた。


正直驚いた。


そんな記憶はなかったから。



思うに、敗けたのは別の学年の時で、
他人に向けた『取れよ…』の自己嫌悪に、
優勝した方の思い出は潰されてしまったのだろう。

人に辛く当たって、結局損をするのは自分である。
その良い例を四半世紀越しに味わった。

悪人なら、『取れよ…』の一言すら忘れていて、
その意味では、悪人でなかった自分に安堵すべき、
という考え方も確かではある。

けど本当に安堵していいのかな。
他人を傷つけるような一言を自分が発した時に、いつも気づいてるとは限らない。

それと、自分にとっての中学や高校の思い出は、
こういう自己嫌悪に陥る記憶で真っ黒だ。
安堵してる場合じゃない。
その裏で、本当はあったかもしれない、幾つもの楽しい思い出が、
いったいどれくらい消えていったんだろう。

失敗や後悔をゼロにすることは多分無理で、自分の人生のどの時点であっても、
あとで振り返るときに、楽しかったと思えるには、
そうやって台無しになるぶん以上に、たくさんの楽しい思い出が必要なんでしょうな。