2009/12/25

コーヒーポットにめんつゆ入れとくのってやっぱりあり得ないんじゃないかな

小学生の頃、ポッカアイスコーヒー(缶入り1リットルくらいのやつがあった)を
牛乳にほんの少し入れて飲む習慣があって

でも母もそんなに細やかな方ではないから
麦茶を入れておく瓶にめんつゆ入れてたり
コーヒーポットにめんつゆ入れてたり
することがごく普通だった

そう、ごく普通だと思わされていたから
ある日間違って牛乳にめんつゆ入れて飲んだ事も
単に自分が不注意だった
そうとしか考えてなかった
(ちなみにそのめんつゆ牛乳、私は
『さっき納豆食べたから舌にその味が残ってるんだな』
と勘違いして全部飲んだ
今でもだが、こっぴどい味覚音痴なのである)

けれど今なら言える
コーヒーポットに麺つゆ
それは人道から外れたトラップ
何も自分を責める事はない
少なくとも結婚した今
もうあの悲劇は2度と起こらない
ただそれだけでいい

2009/12/21

知らなかった恥ずかしい事

ここまで、


完璧
 ↑
「壁」じゃないことを知らなかった


どおりで普段「完ぺき」と書かれるわけだ…

エムワングランプリ

決勝のネタは見てないけどパンクブーブーか。
ノンスタ結構好きだったんだけどな。
今の笑いの世界は、
「ひと言で表されたら終わり」
という特徴がある。
持ちギャグ、一発ネタが流行ると、その芸人は「ああ、○○の人か」そのネタの一言で認識される。
認識されると言う事は定義されると言う事。
イメージが安定、固定されると言う事。
これが現在の笑い、とくにグランプリのような場所にとって大きなダメージになる。
(だから毎年、全然知らなかったような人が強い)
その点においてノンスタは優秀だ。
自由自在とは行かないまでも、ボケとツッコミの役割分担が曖昧な彼らの方法は、ネタの次の展開が読みにくい。
ただ、その方法にも、慢心すると器用貧乏に陥ると言う罠がある。
だから「こうすればOK」という方程式があっても、それをいかに客に暴かれないかが、芸人としての寿命を長持ちさせるコツになって来るのだろう。

野球にしろ、陸上のような競技にしろ、とにかく上手ければ、とにかく強ければ勝つという、目指すべき方向は明確に示されている。
笑いにはない。方向がある事が障害だ。ゴールがない場所へどこまで到達できるかと言う、矛盾した闘いだ。
あるいは、ゴールは常に波打っていると言える。
そんなものを目指さなければならない。
2ちゃんねるの話題を紹介する「痛いニュース」でもグランプリ速報が流されているが、2ちゃんねるでここまで意見の分かれる話題ってそうそうないはず。
そういうことを考えると、やはり笑いって難しいと思う。

2009/12/14

それでも一億人から

君を見つけたよ♪

ってさ


まあ色々勝手に決めつけてのことだけども


日本の総人口という意味での一億人なら


探すの、その半分からでよくね?


などとつまんない事を考えてたら
一日が過ぎた。

アリス


イン ランド

2009/12/04

はかる

風呂場にて


めい3歳が、おもむろに、私の
おでこにおもちゃを当ててきた。

どうやら、何かのマネらしい。
長さを測る意味とか、まだ知らないはず。
でもなぜか、おでこの広さを測ってるっぽい感じになった。



しばらくして、言った。



 ごじゅうろく
「 5 6 センチ」




そそそんなにねえよ!?


いきなり具体的な数字を示されて慌てた。