ツイッターに書いてたけどこっちにも残しておきたいので。
考えさせられた事のメモ。
娘と一緒に百人一首に触れ始めた頃から、ずっと心に引っかかってた思い出がある。
中学の頃にあった百人一首の大会。
チーム対抗戦だった。
自分はひと通り暗記してたので、そこそこ強く、正直思いあがりがあった。
でもまあ敗ける時は敗ける訳で、全然取れない試合があった。
その時のチームの、誰か女の子に向けた一言。
『取れよ…』
自分で言ったこれが、ずっと頭から離れない。
ところが昨日、部屋を整理してたら、中1の時の学級通信が出てきた。
担任の先生が毎週生徒に配ってた、色んな出来事の記事1年分をまとめたやつ。
そこに「新春かるた大会 1組5班が学年優勝!」とある。
その班のメンバーに自分が入っていた。
正直驚いた。
そんな記憶はなかったから。
思うに、敗けたのは別の学年の時で、
他人に向けた『取れよ…』の自己嫌悪に、
優勝した方の思い出は潰されてしまったのだろう。
人に辛く当たって、結局損をするのは自分である。
その良い例を四半世紀越しに味わった。
悪人なら、『取れよ…』の一言すら忘れていて、
その意味では、悪人でなかった自分に安堵すべき、
という考え方も確かではある。
けど本当に安堵していいのかな。
他人を傷つけるような一言を自分が発した時に、いつも気づいてるとは限らない。
それと、自分にとっての中学や高校の思い出は、
こういう自己嫌悪に陥る記憶で真っ黒だ。
安堵してる場合じゃない。
その裏で、本当はあったかもしれない、幾つもの楽しい思い出が、
いったいどれくらい消えていったんだろう。
失敗や後悔をゼロにすることは多分無理で、自分の人生のどの時点であっても、
あとで振り返るときに、楽しかったと思えるには、
そうやって台無しになるぶん以上に、たくさんの楽しい思い出が必要なんでしょうな。
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