2009/08/15

人生あるがまま

野球の「試合らしさ」ってなんだろう。
1回から9回のどこかか?答えは出ない。
どのポジション?どの投球、どの打球?答えは出ない。
どういう切り口なら、答えは出るだろう。
というより、試合のある部分を切り取ってしまって、
果たして「試合らしさ」は得られるのか。
大量得点が入った時。致命的なエラーがでた時、それを人は
試合のハイライトと呼ぶが、しかしハイライトのない試合は
試合らしくないのだろうか。例えば毎回大量得点だったり、
0点のままだったり、シーソーゲームだったりした場合は、
果たしてハイライトはあるのか。
試合のハイライトが、必ずしも明確でない、見解によって違うの
なら、どうやらハイライトという部分によってしても、
ひと言で言い表せる「試合らしさ」は得られない。

「人生あるがまま」という。
あるがまま、とは、いかにもその人の人生らしい、ということだ。
人生らしさってなんだろう?
そう考える時、これもまた野球の試合と同様、
部分を切り取った一言で表せられるものではないのではない。

しかし通常、9回裏が終われば、とりあえず1つの試合が終わる。
全ての回を持ってして試合と呼ぶならば、少なくとも
その全体が試合毎の「試合らしさ」と呼ぶしかなさそうだ。
同様に、人生も、全体を持って人生らしさと呼ぶしかないのだろう。
ただ、試合は9回で終わるけど、人生を考える私たちはいつも人生の途中、
3回表なのか5回裏かは知らないが、その途中の回を生きている。

だとしたら、人生の1回表から、途中である現在までの全体が、
現時点における「人生らしさ」である。

ところで野球の試合では、過去の回の展開を振り返り、
現在の状況を見極め、次の作戦を見定める。
作戦は必ずしも当たるとは限らない。けれど作戦通りに試合が進めば、
その試合は必ず評価される。すなわちそこに「試合らしさ」が生まれてくる。

ならば人生も、過去の自分を振り返り、現在の自分を見定め、
次の自分が成すべき事を見定める。これらのつながりが、自分の「人生らしさ」を
組み立てていく事であり、言い換えれば「あるがままの人生」を
築き上げて行く事になるのだろう。

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