2015/08/23

ある場所に誰かが桜の木を植えた。
それは見事に咲き、花見の季節は周りで宴会、露店も賑わった。
時が過ぎても、宴会の人数も、露店の数も増えた。

ところがある日、桜の木が枯れ始めた。
桜の木を植えた人が亡くなり、跡を継いで世話をする人がいなくなったのである。
宴会を取り仕切る人たちは話し合った。
「もうダメだし、桜の木は切ろう」


これは、少なくとも自分の地域で毎年催される「夏祭り」で起こっている、
あるいは起こりつつあることの例えである。
「無音盆踊り」のニュースも現時点では記憶に新しい。
櫓も踊りも失われた町もある。

しばらくは、誰も気にしないだろう。
花より団子。団子をより一層美味しくすれば、花がなくても何とかなる。
けれど問題はその次の時代である。
桜や櫓が失われた後の宴を、露店だけを受け継ぐ人に、集まる理由は継がれない。

楽しいからに決まってるだろうと、託す側は言うだろう。
しかしなぜ楽しいのかも分からない。食べ物を売る店ならどこにでもある。
集まりたいなら好きな人同士でよいだろう。
その時そこでなければならない理由が分からない。
無くしてしまったのだから当然だ。

その地域の人だけが知っている、桜のもとに集まること。
その地域なら誰でも知ってる振付で、みんなが踊りを一斉に舞うこと。
普段はそれぞれ、別々の人同士であっても、
その時その場所でだけは、みんなが一つになれる、
祭りとはそういうものだったのだ。

中心もないまま、露店やアトラクションだけが工夫をこらしている夏祭りを見ると
虚しさだけを感じる。
沢山の人があつまっている。
けれど人の目線はどこにも集まらない。
ばらばらが、それぞれなままで、たくさんいる。
要するに、大阪や東京の普段の市街地である。
田舎町が、都会の日常を町内の中心に再現して、
それを祭りと呼んで、ありがたがっているだけである。

2014/10/08

吐露

疲れたか。
もうやめたいか。

でも、やめて何をする。
それしかやってこなかったのに、やめたあと、自分に何が残る。

今やめようとしているそれ、そのものが、自分ではないか。
逃れたくて仕方がないそれこそが、今までの自分を支えてもきたのではないか。

今の自分を見たくないから、降りてしまうのか。
でも降りた後の自分を見続けるのは、もっと辛くないか。

この場からそれを言うのは、甘えと取られても仕方がない。
けれどこっちも、なりふりは構っていられない。

好きにしろと、そっちからは言われてきた。
けれど、好きにすればいいと、こっちからは言わない。
好きにさせてもらう。その言葉に従って、好きにすればいいと言わない。

持つべきものは持っててもらう。
たとえ手放したいと思っていても、手放すべきではないと自分は思うから、最後まで持っててもらう。

2014/03/17

信頼と技能

店で商品を買うときに支払うお金は、商品の価値に対して支払われる。
では、ある仕事に対する報酬は、その仕事の何に対して支払われているのか。
仕事のとある研修会で、講師となった先生がこのようにおっしゃった。
「みなさんが受け取る報酬は、みなさんの資格に支払われるわけではありません。
測量機器を使ったとか、書類を作ったとかの技能に支払われるわけでもありません。
報酬は、信頼に対して支払われるのです」
なるほどそうなのかと思った。
表示に関する登記の代理申請は、法で定められた、調査士資格者の独占業務である。
土地家屋調査士でないものが、継続的に、他人の登記申請を代理して報酬を受け取ることは、法に対する違反の罪に問われる。
しかし、だからといって、調査士は、法にあぐらをかいて報酬をもらうわけではない。
法とて絶対ではなく、そのような姿勢で保たれる程度の品位しか調査士にないのなら、いずれ法は見直されて、地面にあぐらをかくしかなくなるであろう。
技能だって、測量機械なら測量士のほうが専門性は高いし、書類作成なら一般企業の社員のほうが上手だったりもする。内容や様式も、システム化が進めば素人の入力でも自動変換され、それで間に合ってしまう部分は多い。
結局は、信頼なのだと。
地位や個々の技術に価値が生まれるのではなく、それらを総合的に駆使した上での法的判断や業務処理、その結果作成される登記内容と成果物、それらへの信頼なのだと。
結果的に登記される内容が「木造かわらぶき2階建」に変わりなくても、「たしかにそうである」という信頼、「そうである根拠」として共に提出される調査報告書などの資料、その資料作成に至る経緯としての調査と判断。そういう信頼に価値が生まれ、報酬は支払われると。
確かにそうだし、そうであるべきだとも、思った。

でも、と思った。
それで全てが語り尽くされたのか、とも思った。
この結論に、どこか納得しきれていない自分がいる。
なぜか。
ここまでの説明そのままだと、資格はともかく、「信頼なしには技術の価値は語れない」という、信頼が主で技術が従であるかのように語られている。
本当にそうなのか。
逆に「技能なしに信頼の価値は語れない」とは言えないのだろうか。
そして、大げさと言われたらそうなのかもしれないが、現代の社会問題である「ブラック企業」が生まれる原因も、この観点の欠落から来るという理由で少しは語れるのではないのだろうか。
信頼が技能に優越すると、技能の検証を置き去りにして、「信頼のようなもの」が暴走し始める。すなわちブランド性だ。
近頃、それを象徴するような事件が立て続けに世間を賑わした。
一つは、作曲家のゴーストライター事件。作曲家の持つ生い立ちや障害から形成された「イメージ」があまりにも価値を生み出しすぎて、日夜繰り返される報道は、曲そのものはどうなのかという検証にはもう戻れそうにない。
もう一つの、革命的とされた科学論文に関する取り下げの事件も、内容の検証を待つことはできず、いや、当初から話題は「発表者のイメージ」そしていまは「それも虚像だった?」に集中している。
つまりいずれも、「膨らみすぎた信頼のイメージと、それが壊れた衝撃」を中心にして話題が繰り返され、いろんな事はリセットして曲を聞き直そうとか、とりあえず実験の再検証を待とうとかいう話にはならないのである。
実際、 曲の場合ならばニセの作曲者は「最初から居なかった」こととして忘れ去り、改めて曲を楽しもうという姿勢が、もし大多数の人間で可能ならば、そのほうがニセの作曲者に対しても効果があるはずなのである。
けれど今なお騒いでいる人たちは今まで聴いてたその曲を、作曲者のエピソード無しにはもう聴けない。曲そのものの技能よりも、それにまつわる信頼とイメージのほうが大事だから、静かに耳を傾ける日に戻れない。その日も虚像に耳を傾けていたのだから。

信頼と技能。
どちらを重要視すべきかという話ではない。
バランスが大事なはず、というより、金銭的価値に対しては相互に依存する関係ではなかったか、という話である。
なのに、「(技術がなくても)信頼が大事」というスローガンで大きく傾いてしまったそのバランスこそが、大きく膨れては壊れる信頼に翻弄される社会を形成しているのではないか、という話である。
技術がなければ信頼など得られなかったはずである。
たとえば、かつて技能で信頼を得たが、IT化の波に乗れず、信頼だけを盾に取って社員を動かす管理者のそれは、もはや虚像なのである。
人の心は不安定である。だから信頼至上主義を経済に組み込んでも不安定しかもたらさない。
バブルが弾けてからもう日本はずいぶん経つが、未だにあの時、信頼がもたらした爆発力が忘れられず、今も一発逆転を夢見て、多くの人間が虚像だけで勝負に挑んでいるのかもしれない。だからこそ、他人の虚像を大きく笑いたいのかもしれない。

2013/11/18

帰ってきた罰

ツイッターに書いてたけどこっちにも残しておきたいので。
考えさせられた事のメモ。


娘と一緒に百人一首に触れ始めた頃から、ずっと心に引っかかってた思い出がある。
中学の頃にあった百人一首の大会。
チーム対抗戦だった。
自分はひと通り暗記してたので、そこそこ強く、正直思いあがりがあった。

でもまあ敗ける時は敗ける訳で、全然取れない試合があった。
その時のチームの、誰か女の子に向けた一言。
『取れよ…』

自分で言ったこれが、ずっと頭から離れない。

ところが昨日、部屋を整理してたら、中1の時の学級通信が出てきた。
担任の先生が毎週生徒に配ってた、色んな出来事の記事1年分をまとめたやつ。

そこに「新春かるた大会 1組5班が学年優勝!」とある。


その班のメンバーに自分が入っていた。


正直驚いた。


そんな記憶はなかったから。



思うに、敗けたのは別の学年の時で、
他人に向けた『取れよ…』の自己嫌悪に、
優勝した方の思い出は潰されてしまったのだろう。

人に辛く当たって、結局損をするのは自分である。
その良い例を四半世紀越しに味わった。

悪人なら、『取れよ…』の一言すら忘れていて、
その意味では、悪人でなかった自分に安堵すべき、
という考え方も確かではある。

けど本当に安堵していいのかな。
他人を傷つけるような一言を自分が発した時に、いつも気づいてるとは限らない。

それと、自分にとっての中学や高校の思い出は、
こういう自己嫌悪に陥る記憶で真っ黒だ。
安堵してる場合じゃない。
その裏で、本当はあったかもしれない、幾つもの楽しい思い出が、
いったいどれくらい消えていったんだろう。

失敗や後悔をゼロにすることは多分無理で、自分の人生のどの時点であっても、
あとで振り返るときに、楽しかったと思えるには、
そうやって台無しになるぶん以上に、たくさんの楽しい思い出が必要なんでしょうな。

2013/05/07

境界問題と聞く力

とある研修会で、紛争の解決手段を3つのパターンで分けて解説されていた。

1つ目は、あらゆるケースを想定し、それへの対応方法をマニュアル化するというもの。
金額・時間的コストを低く抑えられるが、「お役所的」と批判され得る側面を持つ。
ようするに、ルールなんだからそうしましょう、みたいなもの。

2つ目は、問題に対し専門的知識を持つ第三者の裁量に解決を委ね、当事者である両者はその判断に従うことを約束してもらうというもの。
これも1つ目と同様コストの利点があるが、この場合「時代錯誤的」と批判され得る側面を持つ。
ようするに、お奉行様にはかなわねえや、みたいなところがあるから。

で、昔の公的機関による解決手段はこの2つの何れかだったのだけれども、最近新たに設立された機関による解決のポリシーは、どちらとも違う、3つめのパターンであると。

それは、紛争の当事者両名の話し合いによる解決を重んじ、機関は極力その話し合いの進行を支援する立場にとどまるというもの。

このパターンは、当然当事者にとって好ましいというか、後腐れのない結果に結びつきやすいという利点があるが、コスト面では負担が大きくなりやすいという欠点がある。

当事者の間に置かれた者は、両者の意見を中立的客観的に、問題の背景も含めて深く慎重に、そして根気よく聞く必要がある。
もとめられる資質は「じゃあこうしましょう」と提案する力ではない。それでは御奉行様だ。
そうではなく、「A氏の主張はつまりはこういうもので、一方B氏はこういう主張がおありで、そこにはこれこれこういう理由がある」と、相互の意見を、相手に分かりやすいよう噛み砕いて説明する力が重要だ。

もめごとは、当事者相互が、相手に対する理解が欠けてていて発生することが多い。
お互い、自分の意見を言うことには必死だが、聞くことに必死になる人はいない。
だから間に立つものは、その両者に欠けている「聞くこと」をまず補完するのである。


ここで大きく話が変わるが、このことに時代の変化を感じる。


昔、巷でよく言われていたのは、「ノーと言える日本」だった。
自分の意見を主張する力がとても重要視されていた。

けれど今の時代はようやく、それだけじゃダメなんだな、という考えに風向きが変わりつつあるのだと思う。

「議論のしかた」というサイトで述べられていた言葉が印象的だ。
“議論とは、意見を言い合う場所ではなく、聞き合う場所なのです。”
議論という表現を用いるまでもなく、話し合いとは元来そういうもののはずだ。
言うだけならば、言い合いという言葉が別に用意されている。

今後しばらくは主張する力、自分の意見を持つ力よりも、聞く力、理解する力、相手の意見を読み解く力が重要視される流れが続いていくと思う。

もちろん、言う力と聞く力は本来合わさるべきものだから、いつか主張する人がほとんどいなくなる時が来るとしたら、またそちらが重要視されることもあるだろう。
バランスを保とうと、振り子のように揺れ動くものだろうから。