2011/03/30

笑い

うちの家系は、あんまり怒るということのない傾向にあるが、
その代わりに、過ちや失敗を笑う。

自分の小さい頃の思い出には、なにかちょっとおかしな事を言って、
それを家族のみんなで大笑いされた記憶がいくつもある。

もちろん、悪気はない。本人にとっては愛情表現の笑いだ。
けれどそれはあくまで本人にとっての話。
小さい頃の記憶の中で、自分は、笑われて恥ずかしくて困っていた。

確かに、怒るよりはましなのは確かだ。
けれど笑いはスパイスであり、潤滑油であるが、
時に毒でもあり、時に火を呼びおこしてしまう事もある。

子供がおかしな事を言って、それがかわいくて笑う、
それは仕方ないのかも知れないけど、子供が困った顔を見せた時には、
大人はちゃんと謝るべきだと思う。
それがどうしても嫌なら、笑いながらでもいいから、せめて抱きしめて褒めてやるべきだと思う。
後から「かわいいからだよ」とごまかすのは、逃げだと思う。

かくいう自分も家系の遺伝の中にあり、気がつけば子供の失敗を笑っている。
だからそういうときは、素直に謝るようにしている。
この遺伝だけは、自分で断ち切り、何らかのよい振る舞いに昇華させたいと思う。

2011/02/18

係の人に相談して本を探す

めい4歳、図書館で「アイスクリームやさんになりたい本はありますか」と、係の人に自分で尋ねるのに成功。色々探してもらい、最終的には絵本に落ち着いたようだが、かなり意義のある行動を取れたと思う。
大人になったらアイスクリーム屋さんになりたいと、前から周囲に公言している。普通ならそうかそうか、かわいいね、で終わるのだろう。実際、自分以外の周囲の反応はそんな感じだった。
けれど、そもそも「大人になったら何になりたいか」は、周囲から問いかけ、答えを求めたことであり、めい4歳が自発的に考えた疑問ではない。なのに、答えを聞いてそれで満足、というのは、こう言うと大げさと言われるのだろうが、無責任だと自分は思う。尋ねて、答えをもらった以上は、その答えに対して何が出来るかを大人は考え、そしてできるだけのことをすべきなのである。年齢に関わらず。
実際に将来どうなるかなんて、分かるはずも無い。しかし、めい4歳が示した自分の意志に対し周囲がどう向き合ったかは、その将来にきっと影響を及ぼす。
だから自分はめい4歳に向かって言った。アイスクリーム屋さんになるために、今でも出来る事を示した。
「図書館にはいっぱい本があるから、アイスクリーム屋さんになるための本もあるかも知れない。バーバパパの本を探す時もうまく聞けたから、こんどもまた、係の人に聞いてみようか」
そして成功した。自分で声をかけ、自分の質問をはっきり示し、係の人はちゃんと理解して、多少難しい本も含めて、色々な本を探してくれたという。4歳にしては。何と貴重な経験の詰まっていることか。
図書館には母(めい4歳の祖母)が連れて行ってくれたのだが、ちゃんと自分で出来たという話を聞いて、素直に嬉しかった。その嬉しい気持ちでこれを書いているので、なんだかぎゅうぎゅうで読みにくい。

2011/02/07

美

ちょっと前だったか、「批評は美のために必要」ていうツイートを見かけて、そういう直接の因果関係があるような言い方もしくは美の捉え方は自分には合わないなと思った。

そう考えた自分の背景には、過去に読んだ「美の法門」という本で語られていた考え方がある。柳宗悦さんていう方の著作で、自分には結構むつかしくてどこまで内容を理解できているのかよくわからないが、ともかく、そこでは「不二の美」なる概念が語られていた。

不二の美とは、醜いの反対の美しいではない、そういう二つに分かれる以前の境地にある美の事。
本では主に茶器を例にとって語られていたが、自分なりにその例を、現代の身近な物事に置き換えるとすると、それはイチローの記録なんかが当てはまると思う。

イチローがメジャーリーグで打ち立てた記録は輝かしい。
誰もが簡単に真似できるものではない。
その記録を「美しいもの」であるとする。
ならば、その対極に位置する「醜いもの」はあるのだろうか?
何もない。
記録を持つ人を美しいと称えても、それは記録のない人を醜いと蔑む意味にはならない。
イチローが、その記録を打ち立てる為に、誰かを批評する必要はあったのだろうか?

不二の美は、何かと比べる事もなく、ただそれ自体だけで美しい。
茶器もそのような美の例として挙げられている。
歪であろうが、汚れていようが、そのままに美しい。
その茶器を何百何千も作り続けた職人の手により、器は人の作為を離れ、
器それ自体が器をかたどったかのような境地に達しているから。
イチローも、数えきれない素振りや限りない鍛錬のなかで、きっと打席に立つときは、
何をどう打つとかでなく、ただ打つという境地に達せるのだと思う。

だから、そういう不二の美に批評は必要ない。
自分は醜いの反対である美しさよりも不二の美の方が好きだから、
そういう意見は自分には合わない、という事である。

2011/01/30

フォルダは欠陥のあるファイル管理方法であるの巻

ツイッターでつぶやいた、ファイル管理方法についての
自分なりの考察をまとめ、再編集。

フォルダは欠陥のあるファイル管理方法である
今まで自分が見た限りでは、PCのデータを管理するのに、無駄に深い階層のフォルダを作っている人が多い。命名規則さえ決めれば、そんなにいらない。

理由その1。分類にどうしても主従関係ができてしまう。例えば仕事のファイルを日付と内容種別で同時にフォルダ分けすることはできない。日付フォルダの中に種別フォルダか、その逆にするしかない。すると、種別で探すために日付フォルダを往復するような作業ロスが生じる。実際には地域とか担当とか、並列な関係に置きたい分類方法があるはずだから、それらを全部フォルダ分けしてしまうと、非常に複雑な階層構造になってしまう。
情報ポータルはかつてYahoo!がしていたようにリンクを階層的に分けていたが、その方法は廃れた。現在はタグを使った分類が主流なのも、こうした理由による自然な流れと言える。

理由その2。操作ミスで間違ったフォルダに入れる確率が上がる。何でもそうだが、優れた仕組みというのは、利用者が起こしうるあらゆるミスを、そもそも起こし得ないように考えられている。フォルダを多く作るほど、優れた仕組みからは離れていくのである。

理由その3。その2のような操作ミスなどが原因で、同じファイルが違ったフォルダに複数作られる確率が上がる。「前に作ったファイルはどこだったかな?」と思えるならまだいい。それすら忘れて、新規に作り、後から前の状態が見つかることも起こりうる。特に複数人数でファイルを共有していたりしたら、これは致命的な事態になりかねない。

以上の理由から、フォルダはPCのファイル管理方法として標準となっているが、人にとって必ずしもベストな手段ではないという認識を持つべきだ。理由その1で触れたように、少なくともタグを使う方が、後で目的のファイルを探す分には、勝手がいいのである。

命名規則を利用する
とは言っても、現在のOSではタグは使えないし、使えたとしても、膨大な数のファイルに1つ1つタグを付けて回るわけにも行かない。
そこで、フォルダ名の付け方を工夫して、階層を少なくし、かつ、目的のものを探しやすくする。
例えば自分の場合、書類の種類ではなく案件ごとにフォルダ分けをしているが、ひとつのフォルダ名を
H23.01【測量  】○○町 某名
のようにしている。年月、種別、町名、顧客名、この順番は絶対に守る。年月の桁数は半角英数にし、0を付けて桁数を揃える。種別も同様。測量の後にスペースがあるのは、他の種別名と文字数を揃えるため。町名も省略したりして極力文字数を揃える。顧客名の前は半角スペース。あとは揃えなくても気にしないし、必要に応じて他の内容名も付ける。
こうすれば、Windowsでは表示を「一覧」や「詳細」にしたとき
H22.11【測量  】甲賀町 某
H22.12【建物表題】伊賀町 乙野
H23.03【土地分筆】柳生町 北山
H23.03【分合筆 】徳川町 山田株式会社
H23.03【測量  】服部町 甲山
のようになる。
見れば分かるが、目線を縦方向に動かして探せる。これが重要なのである。これなら、例えば1000個のフォルダが並んでいても、平成22年のものを探すのは一瞬である。どんな仕事でも、大まかな年月くらいは覚えているから、それだけで探す対象はかなり絞られる。その後で種別や地域で探すのも、文字数が揃っていれば、エクセルの表を見るのと同じだから、簡単なのである。

記号や括弧の利用
フォルダやファイル名を決めるときには、記号や括弧も活用しよう。例えば未承認の書類はファイル名の先頭に□、承認済みは■を付ける、などとすれば、書類名を変えなくても、その順番で並ぶ。上記一覧では種別名を【】でくくっているが、これは見やすくする為の工夫である。コミュニティサイトでも、強調したいキーワードは良くこの括弧でくくられている。多くの利用者の間で自然に浸透している仕組みには、それなりの理由がある。

進行中案件と過去案件
あとは、進行中と完了の案件を分けておくくらいでいい。案件が並んでいるフォルダの中に、「過去の案件…」というフォルダを作っておく。他のフォルダは全て半角英数の年月で始まっているから、このフォルダは必ず最後に来る。新規案件がくればフォルダを作り、案件が終わったらそのフォルダを「過去の案件…」に放り込む。そうすれば、過去の案件を探す時、「過去の案件…」フォルダ内の1階層を探すだけでいい。検索を使う場合でも、名前が決まっているから、キーワードが決めやすい。

バージョン管理
フォルダ管理とは直接関係ないが、同じファイルのバージョン違いを残しておきたい場合には、基本的には作成日か更新日で統一し、その日付をファイル名の末尾に付けるのがよいであろう。単なる数字だと、新しい番号を付ける際に、最後に付けた番号を確認しないと行けなくなる。日付なら、過去のものより新しいに決まっている。間違っても、「最新」などは使わない。

ファイルブラウザ
ところで上記のような命名規則を使う場合、ファイルやフォルダ名の表示は等幅フォントの方が良い。Windowsの設定で変更する事も出来るが、ファイルブラウズのためのフリーウェアを利用するのも手だ。自分の場合は「TabFolder」というソフトを利用している。表示設定を変更し、フォントは等幅、表示形式はリスト、画面を2分割し、片方は案件一覧、もう片方はひな形一覧を表示するようにしている。新規案件が出来たら案件フォルダにフォルダを作成し、その中に、ひな形一覧から必要ファイルを引っ張って来てコピーするのである。

分けること自体が目的にならないよう
以上が自身の仕事で使っているファイルの管理方法。
でもあくまでこれは一例であるし、自身においても、しばしば例外的な命名をする事もある。
大事なのは「後で見たときにわかりやすいこと」であって、命名規則のために分かりづらいフォルダ名になったりしていては本末転倒なのである。

2011/01/12

議論

議論という言葉には、堅苦しくて、しかも争いであるというイメージが、
まだまだ付いて回っていると思う。

この、議論に対するイメージをどのように抱いているかって、
その社会の、ある種のレベルを表しているのだと思う。

議論とは、正しい事を言った奴が間違った奴に勝つためにするものだ、
という認識が蔓延している社会単位では、最終的には、
声の大きい人間が『勝つ』。

これからの日本の為には議論が必要だと言われるが、その前に、
議論とはどういうものかというこの認識を、社会全体で変えていかなければならない。

テレビでやってるような、相手の言葉をさえぎり合い、
自分にマイクが回ったら、延々と理屈をこねるだけのようなのを見て、
「議論ってこんなもんか」という印象を持たせるのを放置しているようでは、
その目標は遠い。

議論とは、聞き合うためにする事。
議論に勝つとは、言うなれば、相手をより理解する事。
議論に参加する人間すべてがこの認識を共有しなければ、その議論の場は
高度で有意義なものにならない。