「言葉の暴力」などと言うけれど、もうそんな区別は必要ないのではないか。
「ペンは剣よりも強し」と言うが、剣よりも正しいとは限らない。
ペンだろうが剣だろうが、素手だろうが文字だろうが、そしてたとえ映画だろうが、
理解より勝利を優先させるのは、方法のいかんに関わらず、暴力と呼ぶべきだ。
日本のイルカ漁を一方的に非難する為にドキュメンタリー映画を作った監督の
手段が、まさにそれだ。
この映画について忘れてはならないのは、カメラに写された相手は、巨大な権力を
持った政治家でもなく、銃を持ったテロ集団でもなく、ただ自国で自分たちの生活を営む
庶民にすぎないということだ。
権力や銃などに立ち向かうためのカメラならば、支持されてもおかしくはない。
しかしカメラも持たない人間に一方的に向けられるカメラ、これはカメラこそが
暴力なのだ。
自分の気に入らない相手を、手を換えた暴力で締め上げ、残った手で握手を求める。
今までアメリカがやってきて、そして何度も非難されている手口と何ら変わりない。
むしろ、より知能的になった分、シーシェパードなどよりもはるかにたちが悪い。
圧倒的優位に立ったことを確認して「これは恋文だ」と宣言するのである。
日本は、確かに外国の「自分のNoを言える口」に憧れたかもしれない。
しかしその相手には「相手のYesを聞ける耳」がまだ足りなかったようだ。
大統領も代わり、少しずつ学んではいるはずだが、こんな映画が作られるようでは、
もう少し時間が必要だと思われる。
0 件のコメント:
コメントを投稿